道端の鳩

突然の鳩のフン

新型コロナは予想よりもひどかった 理系(生物系)の視点から

 正直に言って、中国・武漢市で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行りだした当初は、ここまで世界的に流行するとは思っていなかった。5月6日時点で、世界中の感染者数は365万人を超える。これまでの死者数は25万人を超え、2009年にパンデミックと認定された新型インフルエンザの死者数1万4286人(2009年春~2010年1月18日までの累計)をすでに大きく上回っている。

 感染症の専門家なら、1月時点の情報からここまでを想定できていたのだろうか。

 この記事は、専門家が書いたものでなければ、何か新しい可能性を示唆するものでもない。ただ、大学~大学院と分子生物学(研究テーマ自体は神経だったけど)を学んでいた程度の理系であるところの筆者が、新型コロナウイルスを当初どう考えていて、今の状況を見てどう認識を改めたかという所感を記述するものだ。多分、大学受験で生物を勉強した/している高校生なら「まあそうっすね」と頷ける程度の基本的な話。

 感染症の専門家による解説ではないため、内容には誤りがある可能性がある。できるだけ正確性を期して書いているつもりではあるが、新型コロナウイルスについての正確な情報については、厚労省世界保健機関(WHO)などの一次情報を自身で参照してほしい。


生物と無生物のあいだ

 「生物と無生物のあいだ」という本がある。青山学院大学福岡伸一教授がウイルスを題材に「生命とは何か」を解説した本で、ウイルスが生物と無生物の中間に位置する存在であると述べている。

 一般的に、ウイルスは生物と認められない。生物は主に下記の3要素が必要条件といわれている。

  • 自己複製できること
  • 自己代謝できること(外界からエネルギーを得て利用できること)
  • 内外を分けられること

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動物細胞の模式図(MesserWoland および Szczepan1990 - 投稿者自身による作品 (Inkscape 作成), CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1279365による)


 地球上で生物と認められるものは、DNAの設計図を中心とした自己複製能力を持ち、酸素と有機物などからエネルギーを取り出す機構を持ち(酸素がない環境で硫黄などからエネルギーを取り出す種もいる)、リン脂質二重層からなる細胞膜で内外を分ける。

 人間から単細胞生物まで、地球上のあらゆる生物はこの要件を満たす。

 一方、ウイルスはこの要件を満たさない。ウイルスはDNAもしくはRNA(リボ核酸、人間など身近な生物の細胞内ではDNAからタンパク質を作るときなどに活躍する)を設計図に持つが、自己代謝できず、自己“で”複製する能力も持たない。その代わり、生物の細胞に入り込むことで、その生物の自己複製機能を利用して自己“を”増殖する。内外の区別については、膜状構造(エンベロープ)を持つものもあれば、膜がなくタンパク質が外殻となるものもある。生物の3要件に照らし合わせれば、

  • 自己複製能力:×~△(自己で複製はできないが自己を複製させることはできる)
  • 自己代謝能力:×
  • 内外の区別 :○

 といったところだろう。さらにウイルスだけが持つ特徴としては、一般に生物よりも小さく(ナノメートルオーダー、ただし例外的に巨大な種もある)、一定条件下で結晶化可能などが挙げられる。

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(A)エンベロープを持たないウイルス、(B)エンベロープを持つウイルス、1. カプシド、2. ウイルス核酸、3. カプソマー、4. ヌクレオカプシド、5. ビリオン、6. エンベロープ、7. スパイクタンパク質(図・キャプションはWikipediaより)(Y_tambe - Y_tambe's file, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=51529による)

 ウイルスが小さいというのは語源を知っていると納得感も増す。細菌が病原性を持つと考えられていた1890年代に、細菌を濾過できるフィルターを通してもなお病原性を持っていた液体を研究者が「濾過できてしまう毒の液」(filtable virus)と表現したのが由来だ。


新型コロナウイルスは「目に見えない敵」か?

 なぜこのような基本的な話をしたかというと、「ウイルスは生物の外では増えない」ということを指摘したかったからだ。

 一般的な病原菌は外界から栄養を得られれば、必ずしも宿主生物に感染していなくても増殖できるが、ウイルスは感染できる生物の細胞内でなければ増殖できない。

 ちなみに、生物兵器として作成した人工ウイルスにより南極以外の人類が絶滅してしまうという、小松左京氏のSF作品「復活の日」の劇場版では、人工ウイルスがマイナス10℃以上の温度で増殖するという設定だったが、現実にこのようなウイルスは考えにくい。せめて、そうした極限環境で増えるもしくは死なない微生物に人工ウイルスを取り付かせ、微生物が死に絶えない程度に寄生させる必要があるだろう(小説版では、人工ウイルスはウイルスに寄生する核酸のみの存在として描かれているようだ)。

 自身の外にある生息可能な範囲を“環境”と呼ぶなら、生物にとっては地球上の有機的な無生物領域が“環境”といえようが、ウイルスにとっては生物の細胞内が“環境”ということになる、と私は考えている。細胞の外に出た粒子状の形態を人は「ウイルスだ」と認識するが、積極的に活動できるわけでもなく、細胞内に入り込めなければ数時間~数日で不活化する種子のような形態をウイルスの本来の姿と見るべきなのかは議論の余地があると思う。

 つまり、ウイルスが増えられる環境は非常に限られている。新型コロナウイルスは今のところコウモリ由来のSARSウイルスが変異したものとみられているようだが、現在分かっているほぼ全ての感染経路はヒト-ヒトであることから、新型コロナウイルスにとっての“環境”はほぼヒトの細胞内であるといっていいだろう(ネコ-ネコ感染の事例がベルギーの保健当局から指摘されているようだが、ネコが感染拡大にどれほど関与するのかは追試などによって情報の確度が上がるのを待ちたい)。

 ということは、新型コロナウイルスは“目に見えない敵”ではなく、人間大の大きさで視認できる敵(感染者自体が敵と言っているのではない)であり、適切な隔離措置を取れば早期の終息を図れるのではないか──と、武漢での流行時にはある種“対岸の火事”のように、私は楽観視していた。


新型コロナは「目に見えない敵」で、“人間社会の弱点”だった

 振り返ってみればこの考えは甘かったというか、新型コロナウイルスの感染拡大と研究が進むにつれて、(少なくとも私は)想像していなかった特性が明らかになった。

 一つ大きいのは、COVID-19には無症状や軽症などで検査に至らない感染者が多く、感染経路を全て特定するのは事実上困難であることだろう。

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押谷仁教授の資料(https://www.jsph.jp/covid/files/gainen.pdf)より

 厚労省クラスター対策班の押谷仁教授(東北大学)がまとめた資料が詳しく、かつ分かりやすいので是非そちらを参照してほしいが、つまりは私が考えていた「目に見える敵」という考え方は正しくなかった。

 だが、ウイルスが生体内でしか増えられないという基本的な性質自体は揺るがない。極端で非現実的な話をすれば、全人類の接触を2週間全カットすれば新型コロナウイルスの流行は終わるだろう。

 もちろんこれは無理な話だが、現実的にそれに近い策を取ったのが海外の「ロックダウン」であり、日本の「緊急事態宣言」やそれに伴う「“3密”回避の要請」だ。

 しかし、これに従う人ばかりでもない。「8割おじさん」と呼ばれるようになったクラスター対策班の西浦博教授(北海道大学)が「8割の行動制限が必要」としたのは、「夜の街に踏み込んで二次感染を阻止するというのはできそうもない」というのが理由の一つだった。

 実際、緊急事態宣言の発出で3密に当たる施設が営業を自粛するまでは、そうした施設に通う人々の姿が見られた。

 

新型コロナは人間社会の弱点を突く

 確かTwitterで私がフォローしている方の発言だったと記憶しているのだが、「新型コロナは人間社会の弱点を突いている」という指摘があった。

 これは結構本質的な指摘だと思っていて、つまり人間は基本的に他人に会いたいのだと思う。3密条件で遊びたいのは他人と一緒に遊びたいからだし、この最中にビデオ会議ツールが仕事のみならず“Zoom飲み”などとも呼ばれる息抜きにも使われ注目されるのは、やはり人は他人とできれば対面でコミュニケーションしたいからだろう。

 そういうコミュニケーション欲求を持つのは、論理的には他人と連携することで仕事(原始的にいえば狩りや農耕)を成して食事をするため、あるいは異性と交渉して子供を作るためというより原始的な欲求に帰着できるかもしれないが、結局のところ人類は、(正確にいつからかは分からないが)紀元前からコミュニケーションを重ねることで社会や文明を発展させてきたのだ。

 私はどちらかといえば内向的で引きこもり気質な方だし、幸いにもテレワークできる仕事にも就いているので、外出自粛をしていてもめちゃめちゃ大きな打撃はない。それでも大きな街に気晴らしに出かけたり、気の置けない友人たちとリアルで遊んだりできないというのは少々気が滅入る。

 それでも一応理性はあるので、感染リスクのありそうなことは避けて日々を暮らしてはいるが、全員が全員私のような内気な人間ではないだろう。

 緊急事態宣言でゴールデンウィークが過ぎ去り、さらに宣言の延長も発表された。クラスター対策班の齋藤智也さん(国立保健医療科学院)は「残念ながら『新型コロナウイルス発生"前"』と同じような生活は当分難しそうである。年単位の我慢を覚悟しなければならない」という。

 新型コロナは人の気持ちを汲んではくれない。しかし、人もまたいつまでも我慢できるとは限らない。しかも、我慢できない人から(さながら推理小説ゾンビ映画のように)感染し死んでいくわけではなく、本人は無症状や軽症のまま触れ合った人に感染させていく場合もあるというのが厄介だ。

 クラスター対策班や政府は現在のところ良い対策措置を打てていると思うし、今後のことについても私なんかよりよほど考えているはずだが、“年単位の我慢”をどうやって人々に受け入れてもらうかが今後の大きな課題の一つといえるだろう。

 

数理モデルから“収束時期”は予想できる?

 最後に、生物学の見地から今回の件で興味深いと思ったことを紹介したい。

 「ねずみ算」という言葉を聞いたことがある人は多いだろう。最初1ペアだったねずみが2ペアの子供を生み、2ペアのねずみが4ペアに、4ペアが8ペアに……と倍々に増えていく様式を表した言葉だ。

 この例なら世代をnに取れば2のn乗、つまり指数関数でねずみの増加を表せる。中学や高校で習う、生物の増殖曲線といえばこの指数関数だろう。

 だが、「生物の個体数が指数関数で増える」というのはちょっと考えればウソだというのは誰でも分かる。本当なら地球上はとっくにねずみで溢れているが、そうはなっていない。

 生物の個体群の動態を扱う個体群生態学の中で、最も初等的な増殖曲線が「ロジスティック曲線」だ。S字の曲線を描き、増殖初期は指数的に増えるものの、個体数が増えるにつれて増加率が線形に落ち着き、やがて個体数は一定に落ち着く、というのをそのまま微分方程式で数式化したものだ。

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ロジスティック曲線の一例(Wikipediaより)

 今回の新型コロナでは、日本を含めて各国政府が連日の感染者数や死者数などを公表しており、世界的なIT化も進んでいるとあって世界中の感染状況が可視化されている。

 分かりやすいのが米ジョン・ホプキンス大学の「COVID-19 Dashboard by the Center for Systems Science and Engineering」という感染状況のダッシュボードで、米国や日本を含めた世界各国の累計感染者数が一目で分かるようになっている。

 これを見ると、すでに感染の抑え込みに成功している中国や韓国の累計感染者数がまさしくS字となっているのが分かる。

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中国(上)と韓国(下)の累計感染者数の推移(ジョン・ホプキンス大のCOVID-19 Dashboardより)

 ロジスティック曲線では個体数が一定となる“上限”の数値を「環境収容力」という。私がこの記事の上の方で「生物にとっては地球上の有機的な無生物領域が“環境”といえようが、ウイルスにとっては生物の細胞内が“環境”ということになる」と、“環境”という言葉を出したのはロジスティック曲線の「環境収容力」につなげたかったからだ。

 つまり、ロジスティック曲線的な見方をすれば、ロックダウンや積極的疫学調査といった取り組みが、ウイルスにとっての環境収容力を低下させたともみられるのではないか。そして、ロジスティック曲線は環境収容力の2分の1の地点が変曲点となるので、変曲点を観察できれば収束時の総感染者数(=環境収容力)のおおよそを割り出せるのでは──と学問的な意味でちょっと興奮したのだ。

 最初はそう思った。だが、これについて10時間ほど考えてみた結論は、「ロジスティック曲線で考えるのはおそらく正しくない」ということだ。

 実は、ロジスティック曲線に似てはいるが違う式で書かれる、「SIRモデル」という感染症数理モデルがある。多分、クラスター対策班もSIRモデルかその派生形をベースに議論していると思われる。

 ロジスティック曲線(方程式)は以下の1つの微分方程式で記述されるが、

 \frac{dN}{dt}=mN ただし、m = r(1-\frac{N}{K})

 SIRモデルは以下の3つの微分方程式で記述される。

 \frac{dS}{dt}=-βIS \\ \frac{dI}{dt}=(βS - γ)I \\ \frac{dR}{dt}=γI βは感染率、γは回復(隔離)率

 ジョン・ホプキンス大のダッシュボードなどにある累計感染者数は、SIRモデルのI(今感染していて他人に移せる人)とR(感染から回復した人)を足した値と考えられる(※)ので、S(これから感染しうる人)の曲線を上下反転させて原点付近から書いた曲線に等しい。

※ちょっと自信がない。感染が分かった時点で隔離されるから、真に観察できているのはRだけでIは推定値なのかもしれない。

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SIRモデルのオイラー法による近似曲線(筆者作成)

 Sの微分方程式とロジスティック曲線の方程式を比べると、やはり似てはいる。どちらの式とも、「ある時点tの傾き(個体数増加率)は、t時点の個体数に“ある数”を掛けたものだ」と主張している。

ロジスティック方程式では“ある数”をmとおいて、mが個体数に比例して小さくなり、個体数がKに達した時点で0になる(  m = r(1-\frac{N}{K}))としているが、SIRモデルのSの微分方程式では“ある数”が「(感染率)×(その時点で感染していて他人に移せる人の数)」だとしている。

 クラスター対策班がいう「8割の行動制限」や「行動変容」、「3密の回避」などは、感染率とIの2つ(厳密には実効再生産数)に介入して増加の傾きを抑えようという取り組みだ。

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グラフ上で14日目に感染率を90%下げる介入を行った場合。緑のI+Rが累積感染者数

 この介入があると、グラフは介入時点でカクッと折れ曲がり、なめらかなS字にはならない。中国の例は微妙だが、韓国の例は見た目にカクッと折れているのが分かる。

 この点から、やはり餅は餅屋というか、感染症についてはロジスティック曲線よりもSIRモデルで考えるべきだと分かる。それに、こうして感染者数を減らしたところで人々が新型コロナの免疫を持った(集団免疫状態になった)わけではないので、気を抜けば第2波、第3波の“S字”が発生すると予想される。これはロジスティック曲線では書けない。

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14日目に介入し、平になってきた30日目に介入を解除してみた図。再流行が発生した

 そして、第2波、第3波が予想されるということは、現状が収束したところですぐに元の生活には戻れないということだ。これが、クラスター対策班が「年単位の我慢が必要」という理由だ。


知れば理由が分かる

 ここまで、理系(生物系)の筆者が、感染症の専門家でなくても生物系の知識があると新型コロナをどう考えることができるかということを論じてきた。

 数理モデル微分方程式のくだりは大学学部レベルの話かもしれないが、ウイルスの作りやねずみ算と増殖曲線は高校レベルでも分かることだと思う。

 ここで言いたいのは、「この程度の事前知識があれば、各国政府がなぜそれぞれそういう対策をしているのかという背景を考えやすくなる」ということだ。

 知っていれば、「確かに年単位の戦いになりそうだなあ」と考えて納得できるし、アルコールや洗剤がウイルスに効きそうなことも自分で考えられるし、マスクが「自分が感染しないため」よりも「自分が他人に移さないため」に有効であることも理解できるだろう。

 逆にこういうことを知らないと、例えば政府の緊急事態宣言の延長方針に不信感を抱く人もいるのかもしれないし、あるいは新型コロナ対策にかこつけた詐欺的な商品を買うはめになるかもしれない。

 この記事を書き終えた段階ですでにゴールデンウィークという名の引きこもり余暇も終わろうというところだが、“withコロナ”の時代をこれから生きていくに当たって生物系の知識を得ておくのは、今からでも遅くはないのではないかと思う。