道端の鳩

突然の鳩のフン

『天気の子』感想 子供も大人も感じる“常識”の息苦しさ

 新海誠作品『天気の子』を見てきました。公開から約1週間経ってしまって、他の人のネタバレを読みたくても読めない状態が続いていましたが、それもここまで。

 さあいろんな人の感想を読みに行くぞ、といきたいところなのですが、その前に純粋に自分が感じたことをブログに書いておきます。人のレビューを読んだ後だと絶対に影響されてしまうと思うので。

 しっかりレビューを読む前でも、「00年代のエロゲ」というような記事タイトルはちらほら見えており、見終わった自分も「鍵(Key)作品のようだ」という感想をまず持ったわけですが、その辺の過去作との比較は自分よりもいにしえのオタクたちがやっていると思うので私は基本的に本作を中心に据えたレビューを書きます。

 書いたら結構長くなっちゃったので、先に要旨だけ書いておくと、作品内で「大人」の役割をしていた須賀圭介という人物に特に着目しています。

 

 以下ネタバレ注意。

 

世界の「常識」に息苦しさを覚える人たち

 この作品の舞台はまさに今の東京・新宿。フルダイブ型MMORPGとか、魔術戦争とかそういう異世界ものではなく、私たちが生きる現実世界とその法則で物語は進みます。

 そんな現代の東京で息苦しさを感じた少年が一人。主人公の森嶋帆高君です。東京と言っても新宿や山手線内側のような「都心」ではなく、伊豆諸島の神津島村に住まう高校1年生でした。

 彼が島から家出をするところから彼の物語は始まります。単身、船に乗り都心の東京へ向かうわけですが、筆者自身東京から伊豆諸島へ行ったことがあるので、彼が乗っていた船や竹芝桟橋のターミナルはとても見覚えがあって親近感がわきました。

 彼が家出をした理由は、はっきりとセリフ自体は覚えていませんが「島にいても先が見えない、息苦しい」という旨だったように思います。

 しかし、彼が目指した華やかなりし東京という都会の仕組みは、高校生で身分証も持たないような人間に居場所を与えるほど甘くはありません。そんな自分に割の良い仕事はあるかと「Yahoo!知恵袋」で質問しては知恵袋民にけちょんけちょんにされ、「風俗のボーイならできるかも」などというインターネット上の言葉に踊らされては歌舞伎町の事務所でヤのつきそうな方々にどやされ、挙げ句ホームレス同然に缶ゴミ入れの隣でうずくまる始末。

 そんな冷たい東京でも、彼に手を差し伸ばした人物が2人いました。一人はマクドナルドでアルバイトをしていたヒロイン・天野陽菜(ひな)。もう一人は東京に向かう船に同乗し、帆高が船から滑り落ちそうなところを助けた弱小編集プロダクション事業主の須賀圭介。

 マックで3日間連続でマックフルーリー的な飲み物を夕飯にしていた帆高を見かねた陽菜はハンバーガー(多分ビッグマック)を帆高に与え、須賀は行き場のない帆高を編プロのアシスタントとして雇いました。

 陽菜は昨年母親を病気で亡くし、小学生の弟と2人暮らしでした。中学3年生という若さながら、年齢を上に偽ってアルバイトし生活費を稼いでいました。帆高にも、初めは「今年で18」というウソをついています。

 須賀は妻子持ちでしたが、事故で妻を喪って以来、何らかの経緯で義理の母が子供の養育に当たっています。子供が喘息持ちであることと、須賀が喫煙者であること(作中で彼は禁煙に取り組んでいる)が絡んでいるかもしれません。須賀としては子供と一緒に生活したいという考えで、作中後半で帆高がお尋ね者になった際には「他人の子供より自分の生活が大事」として帆高を事務所から追い出しました。そうしなければ須賀が未成年誘拐に問われる恐れがあり、子供との生活を取り戻すのも非現実的になるからです。

 物語のキーは、陽菜の「100%晴れ女」能力。陽菜の母を病院で看病している際、雨空から差した一筋の光が街に降る様子が「光の水たまりみたい」に見え、陽菜はその光が示す、ある建物の屋上を目指します。廃墟同然の建物の屋上には苔むした鳥居があり、陽菜はそこで「晴れた外で母と歩きたい」という願い事をします。その結果、陽菜に「願った短時間のみ、自身の周辺だけ晴れ間を覗かせる」という能力が身についてしまいました。

 この世界は科学の目が行き届いた現代ですから、「願うと晴れる」などという能力はありえないわけです。しかし、陽菜と帆高はこの能力で商売を始め、要望のあった場所で次々に雨空を(一時的な)晴れに変えていきました。

 よって、まず一番見えやすい作品構造としては「窮屈さを感じる世界の常識や仕組みと、それを破るヒロインの異能」という図式が成り立ちます。島にも新宿にも居場所を見つけられなかった帆高にとって、腹が減った自分を助けてくれた上にそんな能力まである陽菜が魅力的に映るのは当然といえます。

 そして、(おそらく年齢詐称がバレて)バイトをクビになり、危うく水商売を始めかけた陽菜にとっても、自身のよく分からない能力を人々に役立ててくれた(そして生活費も稼いでくれた)帆高は王子様のように見えたことでしょう。弟を養うために14歳という若さで社会の歯車にならざるを得なかった自分に、新しい明るい世界を見せてくれたのですから。

 主人公とヒロインですから、この二人の関係性に「世界に窮屈さを感じている、それを打ち破りたい」という作品構造がよく反映されるのは当然といえますが、作中の他の人物も多かれ少なかれ、同じような「窮屈さ」を抱いているようにみえました。

 世間に対して斜に構え、時には帆高に「大人の常識」を振りかざしていた須賀は特にそうだったのではないでしょうか。

 

「大人の常識」が覆い隠してしまったもの

 「大人の常識」的観点からすれば、帆高や陽菜は「幼稚」という他ありません。島が嫌だからといって家出をしたところで、東京に早々居場所が見つかるわけもないし、親が心配する以上は警察という行政機構が近いうちに彼を探し出すため、逃避行は高確率で破綻します。

 「願えば晴れる」という能力も大人からすれば、良く言えば「験担ぎ」、悪く言えば「まやかし」であり、「常識的」に考えてありえません。中学生と小学生の2人暮らしというのも、陽菜なりに考えての行動だったのかもしれませんが、頼るべき大人や機構に頼れば学業に集中できたはずです。

 「子供」である2人に対して「大人」である須賀は、基本的に「常識」側の役割を持っていました。

 しかし、そんな須賀は過去に、帆高と同様に家出で東京に出てきたという経緯がありました。帆高を雇い入れたのは、彼に過去の自分を重ねたから。

 作中後半で帆高を事務所から追い出した後、事務所内のBarで須賀は酒に溺れ、禁煙していたタバコを吸うなど自暴自棄に。姪でかつ従業員である夏美に、帆高を追い出したことを責められたときに、諦観にも似た「他人の子供より自分の生活」というセリフを吐露します。近いシーンでは「大人だから、自分の中の優先順位を変えられなくなっちまった」という趣旨のセリフも。帆高も応援してやりたいが、自身の子供との生活という夢を選んだ須賀の、苦渋の選択でした。

 帆高の逃走中、事務所で刑事が「人生を棒に振ってまで一人の子を求められるのはうらやましい」と半分独り言のように須賀に話しかけると、須賀は自分でも気付かぬ内に涙していました。須賀も、家出後に大恋愛をして奥さんと結ばれたのでした。丸っきり過去の自分を再現しているような帆高の窮地に、自分は何をしているのか──そんな心情に、筆者には見えました。

 

どうせ世界は最初から狂ってるんだからさ

 「晴れ女」能力を使いすぎて消えてしまった陽菜を、帆高が警察に追われながらも探すシーンでは、鳥居の建物の中で須賀が帆高を引き止めます。ネゴシエーターですね。

 おそらく、「帆高を引き止めればお前は未成年誘拐に問わない」など警察に言われたのだと思います。この時点ではまだ、須賀は「大人」であり「常識」側です。実際、帆高のことを思えば「(銃不法所持容疑)より悪いことをしでかす前に事を収めた方が後の人生に響かないだろう」という親切心もあったかもしれません。

 しかし、警察複数人が帆高に銃を向けて取り囲む(帆高も銃を持っていたからしょうがない)ところから心が揺らぎ始め、警察相手にも異議を唱え始めます。

 均衡が崩れ、若い刑事(CV:梶裕貴)が帆高を取り押さえ片腕に手錠を掛けたところで須賀はプッツン。刑事にタックルを決めて帆高を逃し、屋上へと向かわせます。

 物語の大筋としてはこの後帆高が空から陽菜を取り戻し、帆高は高校卒業までの保護観察処分を受けるも卒業後東京へ戻り陽菜と再会して幸せなハグをして終了、なのですが、やはり当時の選択が須賀の人生にはいくばくか影響したようでした。

 エピローグで東京に戻ってきた帆高に対し、「この間、娘とデートしちゃってさ」などと幸せそうに自分、娘、夏美、陽菜弟が写った自撮り写真を見せるのですが、これは娘との生活には戻れていないということを暗示しているように思います。

 「優先順位」を変えてしまい、当初思い描いていた夢はいまだ得られていない須賀ですが、エピローグの彼の態度からそれを後悔している様子は感じられませんでした。

 思い返せば、須賀が単なる「大人」ではないというのは、始めから示されていたような気もします。

 物語の始まりで帆高が東京行きの船に乗る中、まもなく大雨の中に突入するというアナウンスで乗客たちは甲板から客室に戻っていきます。そんな流れに逆らって帆高は雨を浴びに行き、ある種「童心」的な特別感を味わう最中、船が傾いて危うく放り出されかけるわけですが、そこに手を差し伸べて救ったのが須賀でした。

 他の大人たちが言われるがままに動く中、帆高に手を差し伸べられる位置にいた須賀は、意外と帆高と同じようなことを考えていたのかもしれません。

 「どうせ世界は最初から狂ってるんだからさ」という、ラストシーンで須賀が帆高に放ったセリフは、単なる「大人」を辞めた須賀だからこそ説得力の出る発言であったように思いました。